多くの情報の中で流されずに生きていくために必要なこと!

多くの情報の中で流されずに生きていくために必要なこと!

現代は昔に比べると驚くほど多くの情報の中で生きています。

現代人の1日の情報量は、江戸時代の人たちの1年分と言われており、平安時代の人たちの一生分とも言われています。

さらにお釈迦様やイエス様が生きていた2000年以上も前の環境と比べてみたら似ても似つかない別世界が現代です。

それだけの多くの情報量を脳が処理をしているので、上手にさばかないと脳がオーバーフローとなります。

 

私たちの脳の特徴のおさらいです。

私たちは五感をとおして、見たり、聞いたり、感じたりした情報を脳にインプットし、快・不快などの感覚を言葉に変換し、さらに解釈や意味づけをした脳の状態を、自分の外側に投影して、それを「私」が見て、あたかも外側で起こっている出来事と思い込みます。これは瞬時に行われています。

決して「あるがまま」「ありのまま」を見ているわけではありません。

すべては外側にあるのではなく内側でつくりだしていることです。

喜びであり、怒りであり、楽しみであり、哀しみであっても、ほぼ同様のうちに、脳の中で無意識に行われています。

ある「認識の気づき」が起こらなければ、ほぼこのようなシステムの中で物事のすべてを見ていますし、またこれからもずっと見続けていくことになります。

 

現代は玉石金剛の情報に絶えず囲まれています。

たくさんの情報をすべて無意識のうちに受け入れてしまうと、わけがわからなくなります。

情報をまず精査する簡単な方法をご紹介します。

日本メンタルヘルス協会の衛藤信之先生から以前教えていただいた方法です。

 

それは「事実」ですか? それとも「推論」ですか?

 

自分の目の前の出来事や情報と向き合うときに、この言葉を自分自身に投げかけてみてください。

一歩さがって冷静に物事を見ることが出来ると思います。

この世の中の殆どのことが事実ではなく推論の域を出ないことに気づきます。

テレビのニュースしかり、新聞の情報しかり、SNSの情報しかりです。

 

その前に、言葉の定義が必要かもしれません。

・「事実」は「事実」です。あるがままです。一つしかありません。
何の解釈も加えられていない、ただ起きていることだけです。
現実は事実とは違います。現実は一人一人の解釈の中にあります。

・「推論」は事実以外の事すべてです。
過去の記憶や未来の予測などはすべて推論になります。頭の中のことです。

 

多くの情報が溢れ流れている現代ですが、いかがでしょうか。

ほとんどの人たちは、この確認をするまでもなく、事実と推論をごちゃまぜにしています。

推論を事実だと思い込んだり、一人一人の現実をすべての人の現実や事実と思い込んでいたりします。

 

さらに、推論と感情を結び付けて、事実だと思い込んでいる人も多く見かけます。

これは楽しいときには夢のファンタジーの世界で遊べるのですが、苦しみや不安・心配事などストレスの状況では悪夢の世界となります。

 

現代は本当に情報過多の時代で、テレビ、新聞、SNSといった情報に簡単に流されてしまいます。

テレビやSNSの動画にしても、ライブの情報(アナウンサーの実況が入らない)ではない限り事実とは言えません。またライブであっても意図的に流されている映像である可能性も否定できません。

録画にいたっては編集されており、いかに意図的にインパクトを与えて視聴率を上げるか、再生回数を増やすかといったことに多くの力が注がれています。

新聞は記者の主観で書かれていますので事実とは言えません。

もちろん書籍なども同じです。

今皆さんがご覧になっているブログの記事さえも同様です。

テレビや新聞などは、いかに事実ではない情報を流しているのかを見極める最高の教材です。

SNSでさえも同じです。

 

特に情報の取扱い・見極め、物事を考えることに関しては日本人は非常に稚拙です。

先の大戦でも経験をしてきたことですし、つい先日の兵庫県知事選挙でもテレビやSNSの情報に翻弄され、考えることもなくムードに流されている姿を目にしています。

コロナの時にも同じようなことを、ウンザリするほど目にしてきました。

学者や専門家と称する人たちや医者の意見を鵜吞みにする、権威に非常に弱く、特に見えないものに関しては、まったく自分で考えることもなく依存する傾向にあります。

コロナに限らず、日常生活の多くの場面で起こっている、行なっていることです。

 

依存はアルコールや薬物だけではありません。知識や情報、そして人や物に対しても行われます。

 

見極める目を養いましょう。

いかにして情報を精査して、自分の頭で考えることが出来るか、ということが必要になります。

考えることがスッポリと抜けて、無防備に受け入れてしまうと、自分の人生を生きていることになりません。

考えたうえでないと、しっかりとした行動にも結びついていきません。

病気治しや身体や心の健康、気の能力開発においても同じです。

 

気・プラーナという見えないエネルギーの世界を歩んでいくときにも、「妄信するべからず」で、この言葉を思い出してトレーニングを行っていただきたいと思います。

見えない世界のことに携わるからこそ、この姿勢を大切に考えています。

「推論」を「事実」に近づけるため、結びつけていくためにトレーニングがあります。

見えないことは気・プラーナの世界だけではなく、日常生活の身の回りに多く存在しています。

 

「頭の中で生きる!」ことをいったん横に置きましょう。

「言葉の世界で生きる!」ことをからいったん距離を置きましょう。

 

子供のころから行ってきた勉強の仕方、受験の記憶オンリーの勉強の仕方では考えることはできません。

思考のクセではなく、本当に考えることを学ぶことが必要です。

 

参考になる書籍を2冊ご紹介いたします。

是非、お読みになることをお勧めいたします。

『タオを生きる』 あるがままを受け入れる81の言葉

パイロン・ケイティ 著

4つの有名な質問のワークが紹介されています。それは事実ですか?

タオを生きる---あるがままを受け入れる81の言葉

 

『14歳からの哲学』考えるための教科書

池田晶子 著

14歳の中学生のために行った授業の内容が書籍化されたものです。
中学生向けの教材ですが、大人たちが学ばずにスルーしてしまっている内容ばかりです。
頭の固い大人は10回くらい読み込んでも理解できない内容です。

「考える」「言葉」「自分とは誰か」「死をどう考えるか」
「体の見かた」「心はどこにあるのか」「他人とは何か」

考えるとはどのようなことなのか。
今の日本人にとって最も必要なことと言えます。