何のために「健康」が必要なのでしょうか?

何をするために「健康」が必要なのでしょうか?

健康スタジオ横浜の内藤です。

本日もご訪問くださりありがとうございます。

 

今日は「健康」に関して根本的なお話をさせていただきます。

私は書店によく行くのですが、健康関連の雑誌が数え切れないぐらいの種類で増えているのはビックリするほどです。

21世紀に入って日本は高齢化社会を迎え、「健康」に対する需要が高まっている証なのでしょう。

なぜ健康が必要なのでしょうか?

改めて考えたことがありますか。

若い頃には微塵も考えなかった人が、中高年になると体の衰えが気になり始め「健康」を気にするようになります。

・最近は体のあちこちが痛む
・いつまでも元気に健康でいたい
・周りの人に迷惑をかけずに年を取りたい
・若い頃と違ってきた

などなど、やっと自分と対話を始めるようになります。

普段日常生活を送っていると、体のどこかかが怪我をしているとか、痛みがあるなどの症状がない限り、自分の体に意識を向けることはないかと思います。

人は体に不調が現れると、とたんに体を意識し始めますし、「健康」のありがたさを意識し始めるものです。

そのようにありがたい「健康」なのですが、ひとつご質問です。

「健康のためにあなたは何かアクションを起こしていますか?」

いかがでしょうか?

すぐに頭に浮かんでくる人、あるいは「ん~」とうなってしまった方、それぞれだと思います。

 

明確な答えが返ってくるひとは非常に少数です。

それでは、第二問目の質問です。

「あなたにとってなぜ健康が必要なのでしょうか?」

何らかの明確な理由があると思います。

今現在、病気で体調を崩している方、あるいは怪我で体が思うように動かせない方にとっては切実な理由です。

そこまで不自由な状態ではないとしても、肩が痛い、腰が痛い、膝が痛いなど年齢を重ねてくると、体に様々な症状が現れやすくなってきます。

そうなると、体と対話をしながら、今の現状を改善したい。

「健康」になりたいと考えるわけです。

何か困ったことが起きないと切実に考えません。

 

人それぞれに「健康」に対する必要性があると思いますが、私の考えを述べてみます。

一言でいえば、健康な状態だと”制約”が少ないということです。

言い換えると”自由度”が高いということです。

健康ではない、不健康の度合いも小さいところから大きなところまで様々ですが、例えば、腰が痛い、肩が痛い、ケガをしている、あるいは腹痛、胃痛、風邪、発熱などの症状があった場合、自分がやりたいと思っていることを自由に出来る状態ではなくなります。

もっと極端にいえば、自分ひとりで行動することも難しくなってくる場合もあります。

どこかに行きたいと思っても一人では時間がかり、誰かの手を借りなければ行くことも出来なくなります。

そうなると、時間もお金もかかることになる等々、さまざまな制約が生まれてきます。

「自由」のありがたさを感じるようになります。

・「自分のことは自分で出来る自由」
・「行きたい所へいつでも行ける自由」
・「やりたいことがやれる自由」

このような自由があることが本当の幸せではないでしょうか。

 

そのための条件として「健康」が必要となってくると思います。

想像してみてください。

「健康」な状態が失われると、このような自由が失われてきます。

なかには、こんな人もいるかもしれませんね。

「やりたいことはないし、自分でやらなくても代わりとなってやってくれる人がいるので困らない」

このような人にとっては、もしかすると「健康」な状態は必要がないのかもしれません。

自分の人生の主人公は”自分”と考えて、能動的な人生を送りたいと考えている人にとって「健康」はかけがえのない価値ある財産として必要となることでしょう。

 

究極は、その人の生き方につながります。

「健康」は「もの」ではありません。

「健康」という状態、条件です。

その状態で、その条件で、何をするのか?ということが大事になってきます。

それが明確な人にとって、「健康」という大きな宝物を、受ける取る準備が出来ています。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。