100年後の未来からの昔話 「健康スタジオ横浜」
●100年後の未来からの昔話!
健康スタジオ横浜の内藤です。
本日もご訪問くださりありがとうございます。
あの大災害が発生したのは、2011年3月11日、午後2時46分のことです。
まだ10年も経たないうちに昔話になっていませんか?
驚くべきことに、これからご紹介するシナリオどおりに進んでいます。
【100年後の未来からの昔話】
昔むかし、太平洋の端っこに小さな小さな島国があったと言いいます。
自然が豊かで、食べ物に恵まれ、水も清く森に木々が繁る、天国の様な島国だったと伝えられています。
その島国の人々は勤勉だったが、宣伝や広告、洗脳に弱く、互いの目を気にし過ぎて、間違った事があっても誰もおかしいと声を上げませんでした。
単純でお人好しのその国の人々は核地雷を沿岸に54基も自ら埋め込んでも平気で暮らしていました。
そのような中、大きな地震が起こり、その振動で原子炉3基が大爆発。
津波で何万人が亡くなって、原発事故でも15万人以上が避難しているのに、ほとんどの人々はもう10年も経つと知らんぷりでした。
もともと平和が大好きな国柄ですから。悲惨な事には目を向けません。
時の統治者は、「ただちに健康に影響はない」と言ったので、その国の人々は、簡単に信じてしまいました。
次の統治者に変わって、もっと原発事故は安全と言う世論が作られ、とんでもない放射能だらけの所に人々が帰還し始めました。
被災者の人たちも、事故から4年が経つと、その爆心地からわずか30kmに中高一貫高まで作ってしまうほどでした。
その当時の総理大臣は、海外にその島国の富と資産をバラ撒いては、積極的に平和を作ると口癖の様に言っていたと言われていますが、定かではありません。
一説では、喧嘩をしていた国々の間に持参金を持って片方の味方をすると言う出来事があり、それが後の戦争の種となったらしいのです。
その総理大臣は、やがて次々に、事故を起こした原子炉と同じ型や、もっと古い原発まで動かしてしまいました。ごく一部の人々だけが、危険だからやめろと言いました。
何度も何度も警告を出していました。事故で放出された放射能も危険だと、その一部の人が大騒ぎしましたが、その島国の人々の多くが、警鐘を鳴らす人を「大袈裟だ!」 「騒ぎ過ぎだ!」と蔑み、自らの国の事だと言う自覚が無かったと言われています。
当時の多くの人たちの意見は、「よく分からないけど、多分大丈夫じゃないか?」だったと、海底から発掘された遺跡の中の文書から伺う事ができます。
放射能被害や汚染も、一部の心ある心配する人は、無関心な多くの人々から、「おまえは放射脳だ!」「おまえは左翼だから大騒ぎしているだけだ!」「日本に限っては大丈夫だ!」などと口汚く言われ続け、変なヤツと呼ばれ、世間から白眼視されてしまいました。
人を想い助けようとしている人たちは、やがて嫌になり、口を噤む様になったとされています。
それから何年かが過ぎて……。
放射能被害が深刻化していきました。
元々少子高齢化していたのに、事故後の放射能全国拡散で、病気が蔓延し、人々の活力と健康を奪っていったと伝えられています。
そのような中、さらにいくつかの大地震や原発事故が何度も起こり、国中が汚染されて、その小さな島国は、やがて世界の核のゴミ捨て場にされてしまいました。
その島国の人々には、ゴミ処理代金として、ほんの少しのお金が渡されました。
多くの人々が文句を言いましたが、世界の人々は、その島国の人々にこう言いました。
「命や健康よりもお金が大事なんでしょ?」
「絆なんでしょ?」
「汚染されたものを食べて応援するんでしょ?」
「本当のことを言うと風評被害にされるんでしょ?」
誰も言い返せなかったとされています。
さらに、数十年が経って……。
やがて、その島国は、次の大地震と戦争で無くなったとされています。
今では他の星の人や地球の他の国々の人たちの笑い話になっているとか。
昔むかしにあったある国のお話でした。
おしまい。