生きるための道具である「身体」と「心」の磨き方が「健康・長寿」を決める! [ 健康スタジオ横浜 ]

生きるための道具である「身体」と「心」の磨き方が「健康・長寿」を決める!

健康スタジオ横浜の内藤です。

 

私たちが存在している「この世界」で生きていくためには、「身体」と「心」の道具が必要です。

「生きている」といった当たり前のことを、あえて確認をしてみたいと思います。

なぜかというと、当たり前のことをしっかり認識していないと、生きづらくなります。

 

「身体」と「心」を道具として生きていくわけですから、道具を使う存在があるわけですが、このあたりは、後日「思考による身体への影響と気の質を高める」で身体と脳、意識とマインドで詳しくお伝えする予定です。

まず前提として、「身体」がなければこの世界で生きていくことはできません。

生きるということは、「身体」で生きるということです。

 

身体は実体がありますが、心には実体がありません。

見えるものと見えないものが合わさって生きています。

 

身体の状態が身体に表れるのは当然のことですが、心の状態も実体のある体にしか表れてきません。

実体のあるところにしか表れてこないのが特徴です。

 

もう一度戻ります。

生きるということは、「身体」で生きるということです。

私たちは「身体」がなければ生きていくことはできません。

だとしたら、最優先で道具の「身体」を良い状態にしておくことが、この世界でより良く生きていくための最善の方法だと思いませんか?

 

「身体」が良い状態と言うのは、軽やかな状態です。

実体のある道具の身体がいつも良い状態であると、心もその影響を受けます。

 

そして、身心ともに良い状態 = エネルギーが良い状態 と言ってもいいと思います。

エネルギーとは、私たちの存在をあらしめている、気、プラーナ、生体エネルギーなどと呼ばれているものです。

 

もう少し絞って、そもそも私たちの身体を支えている「エネルギー」とはどのようなものなのでしょうか。

まずはそのことについて、少しばかり知っておきたいと思います。

 

ミトコンドリアは、「エネルギーを作る工場」ですが、ミトコンドリアで作られているのは、正確に言うとエネルギーそのものではなく、ATPと呼ばれるエネルギーを放出する物質です。

ATPの正式名称は、「アデノシン三リン酸」といいます。

学生の頃の記憶が甦ってきた方もいることでしょう。

ミトコンドリアでは、私たちが日々の食事から取り込んだ食物と、呼吸によって取り込んだ酸素を使ってATPという物質を合成しています。

 

体の中のエネルギーも様々な使い方があります。

1つの細胞の中では、必要な物質を作ったり、細胞の外へ出し入れしたり、壊れたところを直したり、様々な使い方がされます。

例えば、力を出すにも、体温を上げるにも、細菌やウィルスなどの外敵と戦う時にもエネルギーは必要となります。

さらに、考えたり記憶したりする神経作用にもやはりエネルギーが必要です。

長時間勉強したり、集中して仕事をしたり、アイデアを出したり、また悩んだり、ストレスが多く疲れたりする時も、たくさんのエネルギーを使います。

 

ATPはこれらのどのようなエネルギーにも変えることができる、オールマイティのエネルギーです。

まずは、ATPを作り出して、そのATPのエネルギーを必要な形で使う仕組みになっています。

お金ととてもよく似て、様々な用途に使えるATPですが、1つだけ、お金とは大きく異なった特徴があります。

それは、お金は貯めておいて必要な時に使うことができますが、ATPは蓄えておくことができません。

エネルギーとは「貯金のできないお金」と一緒です。

 

各々の細胞の中のミトコンドリアで作られたATPは、その細胞の中だけで使われます。

そのため、筋肉や神経などエネルギーをたくさん必要とする場所では、ミトコンドリアも多く、ATPもたくさん作られています。

いちばん大きな筋肉群である太ももと背骨まわりの脊柱起立筋群を鍛えるのはそのためです。

いくつになっても、この部分をしっかり動かしている人は健康長寿を保っています。

 

最近では、現役最高齢のフィットネスインストラクター・タキミカさんと俳優の大村崑さんがいらっしゃいます。

お2人とも現在90歳ですが、ものすごくお元気で活躍をされておられます。

「老人」とは、筋力、柔軟性、バランス力の衰えた身体の持ち主です。

お2人とも現在90歳ですが、ものすごくお元気で「老人」とは無縁のようです。

どうぞ映像をご覧になってみてください。

1.タキミカさんのウォーミングアップ

2.大村崑さんの筋トレの様子

 

もちろん、気・エネルギーがばっちり備わっているのは言うに及ばずです。