1日5分間を習慣にする! [ 健康スタジオ横浜 ]

● 1日5分間を習慣にする! [ 健康スタジオ横浜 ]

健康スタジオ横浜の内藤です。

本日もご訪問いただきありがとうございます。

 

今日は、1日5分間を習慣にするお話です。

今からちょうど19年前、『武的発想論』の書籍出版記念パーティーで初めてご挨拶をさせていただいたのが、自成道の時津賢児先生との出会いでした。

大柄とはいえない体つきでしたが、エネルギーを凝縮をしたゴムまりのような存在で、触れれば弾き飛ばされてしまうような強烈な印象を今でもはっきりと憶えています。

あれから19年、時津先生も初めてお会いしたときの印象とは変わり、いまではゆったり、ふんわりと武道をされているようですが、体の中心にある強さは年齢を重ねながらますます充実し光輝いているように感じます。

時津先生から大きな影響を受けた文章の一節があります。

『武的発想論』の109頁に掲載されている「私の意拳修行」は、時津先生の武道に対する考え方を端的に示したものですが、私の練習にも大きな影響と転機を与えてくれたものと、いまでも感謝をしています。

その文章の一節を皆さんへご紹介をしたいと思います。

「人間は横着なもので、自分の都合の良い判断をしがちなものだということを、私自身の判断で知っている。1日も欠かさずに毎日稽古するというのと、ほとんど毎日やるというのとは内容は似ているようだが厳しさの度合いは全然違う。毎日やるといいながら、1年をみると土日は何度か休んでいるものだ。長年のうちには風邪で熱を出すこともあるし怪我もある。家族や友人にとっておめでたいこともあれば不幸もある。生活のなかに生じるそうした波風は、稽古を休むための恰好の口実となる。
かつて巻き藁の千本突きを自分に課していた頃、私はそのことに気づいた。毎日やると願を立てたくせに、熱のあるときは休んでいるではないか。苦しい稽古を長年続けていく上では最大稽古量に目をつけるよりも、最低稽古量を絶対に守ることのほうが現実性がある。私の経験では「どんなことがあっても」5分は必ず稽古するということのほうが、週日はほとんど毎日8時間近く稽古するということよりも難しかった。高熱を出して倒れたときには稽古をやる気などまず出てくるものではない。そんな当たり前のことに気づいてから私は「空手ミニマム」という言葉で自分の毎日を見直した。これは「どんなことがあっても毎日5分間」は必ず稽古するというものだ。「たった5分間」という言葉は「毎日必ず」という条件を付けることによって光ってくる。たった1日欠かしただけで、この願はゼロに帰するのだ。
このように、苦しいことは何とか口実を作って怠けがちになるという自分の弱さを自覚しているので、私は立禅メモを毎日とることにし、どんなことがあっても立禅をやらなければ、寝ないという願をかけた。」

 

この文章を読んでから私自身も、体調が悪くても、忙しくても「毎日必ず5分間は行う」という願をかけて今に至っています。

毎日、背骨を中心としたメンテナンスと1日の疲労を解消する方法を「薄紙を重ね合わせるがごとく」十数年おこなってきて、多少なりとも薄紙も重なってきたような感覚を得るこの頃です。

様々な情報に囲まれている日常生活では、新しいことに目移りし、もっと強い刺激、もっと違う刺激を求めがちになりますが、単純なことの繰り返しの中にこそ真実が隠されているように感じます。

「たった5分間」を「毎日必ず」

この言葉はどの分野にも当てはまります。

何か自分を成長させようとするときの大きな示唆となるのではないでしょうか。

特に身体を整えることは、身体のみにあらず、心のコンディションも整えられ、毎日気持ちよく過ごせます。

 

今日も最後までお読みくださりありがとうございます。